1984年夏(中)
2007-02-28 Wed 12:17
「下関の吹奏楽」
(とっても地元ネタで恐縮だが)当時の下関は中学校吹奏楽が非常に盛んだった。
山口県の中学校で初めて全国大会出場を果たした玄洋中学からは九州交響楽団トロンボーン奏者山下秀樹氏とシエナウインドオーケストラクラリネット奏者鮫島薫氏、名門彦島中学からサクソフォーン奏者織田浩司氏、我らが名陵中学からNHK交響楽団クラリネット奏者山根孝司氏と@部屋、他にも川中中学から豊浦高校の同期で東京芸術大学を経てニューヨーク在住のファゴット奏者近藤聡彦氏など、短い期間の中でたくさんの管楽器奏者が生まれた。

今思うと当時の下関には音楽に燃える何か得体の知れない空気があったのかもしれんなぁ。


「豊浦高校吹奏楽部の思い出」
豊浦高校吹奏楽部は野球部が甲子園に出場したのを機に創部された。
しばらくは部員一桁の時代が長かったようである(時任康文氏談)。
そこへ織田さんの学年が30名くらい入って来て一気に盛り上がったそうだ。
織田さんを中心に、コンクールへの参加、定期演奏会の開催と部員による自主的運営の形が出来た時代であった。

我々の頃は伝統(らしきもの)が形成されていた。
当時印象的だったものを紹介すると
1、音のでかい奴はエラい!
音色などと言う概念はなく、音量のデカい奏者の地位が高かった(笑)。
当然木管楽器に勝ち目はなく金管奏者がわがもの顔で仕切っていた(男子校だけに金管に経験者が多かったのも一因か)。

2、嫌いな言葉は「バランス」「ブレンド」?!
これらの言葉は軟弱な人々の使う言葉だと本気で思っていた。
バランス取って吹いたら楽器が鳴らないじゃん!
ブレンドさせたら息が入らないじゃん!

3、気合い根性では誰にも負けるな!
指導者がいない状況ではこれが一番の頼みどころ。
指示で多かったのは「息入れろ!!」である。
とにかく息を入れて楽器を鳴らせば全てが解決すると考えていたようだ。
ホント、なんでもかんでもすべてこれだったような気がするなあ・・・。

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2007-02-28 Wed 19:34 | | #[ 内容変更]
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