1984年夏(前)

  • 2007/02/27(火) 07:14:39

1984年、睦郎@部屋は山口県立豊浦高校2年生。吹奏楽に燃える16歳であった。

当時の豊浦高校は西日本唯一の県立普通科の男子校。

保健室のおばちゃん意外は生徒はもちろん、教員も職員も全員が「男」であった(かなりムサイ!)。

あろうことか選択教科に音楽がなく、音楽の教員不在(もちろん音楽室も無し)。管理顧問は英語科教諭。

基本的に生徒による自主活動をしていた。

この年、吹奏楽部のOBである作曲家和田薫氏(当時東京音大作曲科4年)の吹奏楽のための「土俗的舞曲」が全日本吹奏楽コンクールの課題曲に選ばれた。

この快挙に下関は騒然となった。

当然この年の豊浦高校の課題曲は「土俗的舞曲」。

そして指揮はOBの織田浩司氏、後のオリタノボッタ氏である!

(織田さんと和田さんは同期で、一級上に指揮者の時任康文氏、そのもう一級上がビックホーンズビートロンボーン奏者の河合わかば氏である。@部屋はオリタさんの5級下になる。)

当時の@部屋にとって織田さんはそれはそれは遠い存在に思えたものだ。

まずは言葉が標準語と言うだけで感動。
「へ〜、そうなんだ!」とか「すっごい上手いじゃん!」などと言われた日には「ブチ、かっこええの〜」「全然訛っとらんやん」となる。

次にファッション。
ジーンズに革のウエスタンブーツで長髪(ロンゲなどと言う言葉はまだなかった)と来た日には「やっぱ東京に住んどる人はちゃうの〜!!」と大興奮となる。

そしてその指揮ぶりのカッコいいこと!!
指揮者にも指導者にも飢えていた我々は織田さんの的確な指示とバトンテクニックに酔いしれたのであった。

そして我々の知らないアメリカの吹奏楽オリジナルの新譜による選曲。

この年の自由曲は前年1983年に福岡工業大学付属高校が全日本で取り上げたJ.バーンズ作曲「呪文とトッカータ」(祈りとトッカータ)であった。

新しい〜〜!!!もうしびれる〜〜!!!

下関にいながらにして何もかもが最先端なのであった(笑)。 つづく。


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こんばんは!

こんばんは!いつも楽しく拝見しています。

僕も吹奏楽が好きで、交流があればと思い、ブログを作成しました。よろしくお願いします。

  • 投稿者: HIGHT
  • 2007/02/27(火) 20:46:10
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下関が原点

そうだね!
つい最近下関に帰る機会があったけど、僕らはここから大きくなったんだし、大きくさせてもらったんだな〜ってつくづく感じました!
機会があればむっちゃんも帰っておいで!!

  • 投稿者: 佐島
  • 2007/02/28(水) 08:36:54
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私も故郷が恋しいお年頃になって来たようです。
親のことを思うと本当は実家にいるのが良いのですが、我々の仕事は成立しませんからねぇ・・・。
微力ながら山口県の吹奏楽の力になりたいですね。

  • 投稿者: @部屋
  • 2007/03/07(水) 04:53:53
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