斉藤義夫先生へ
挨拶が遅くなってしまいごめんなさい。
二日間、あなたの通夜と告別式は盛大且つしめやかに行われました。
斎場には凄い数の弔問客が集まりました。
淋しがりやのあなたに相応しいお見送りの会になったと思います。
思い返せば20年前、国立音楽大学四年生の私は縁あってあなたのところで教育実習生としてお世話になりました。
告別式で弔辞を述べた高野先生と同じように、私が教壇に立った時に場の雰囲気がきちんと整っていて授業がし易いよう配慮してくださいました。
実習最後の研究授業では我々の恩師大阪泰久先生に見守られながら感動的な時間となりました。
当時吹奏楽の指導にまったく関心の無かった私をこの世界に引きずりこんだのはあなたでした。
実習後も声を掛けてくださり、初めての夏を一緒に戦いました。
「僕は人の好き嫌いがはっきりしてるから珍しいんだ」と言いながらも私を所沢の自宅に招いてくれました。
当時、お兄ちゃんの潤くんが小学三年生、弟の亮くんが小学一年生でした。可愛かったですね。
初めての大会の数日前の体育館練習、突然雷鳴がとどろき嵐のような雨が降り注ぐ中、部長のお父さんの訃報が届きました。
部長として気丈に振る舞う彼女の思いに何としても報いたいと頑張りましたが、当時の私たちには彼女を喜ばせるだけの力はありませんでした。
コンクールで負けて何度一緒に泣き、一緒に酒を飲んだことでしょう。数え切れません。あの悔しさが紛れも無く今に繋がっています。
四年後の92年、私たちの執念は実を結び初めて全国大会に出場することになります。
全国出場を決めた都大会での喜びに勝るものはこれまでもこれからもきっと無いでしょう。
軌道に乗るかと思ったバンドはその後も紆余曲折あり波に乗れませんでした。
そしていよいよ96年、あなたが東大和三中を去る年になりました。
こうなったらやれることを全てやり尽くし、何が何でもよっさんを全日本のステージに連れて行こうと皆で決心しました。
そして二回目の全日本のステージは現実となりました。
あなたの最後の定期演奏会は涙また涙となり、翌日の最後のミーティングでは「副顧問の山岸先生を母と思い、次に来る先生を父と思い、一致団結して三中吹奏楽部を守らないと俺は許さん!」と部員たちに言葉を残してあなたは東大和三中を去りました。
私へも引き継ぎで東大和へ残るよう指示を出しました。
新天地でのあなたも残った私もそれぞれにたくさんの苦労がありましたね(笑)。
あの時の経験が今の「風と共に去りぬ」と言う生き方に大きな影響を及ぼしています。
新しく赴任した小平三中は前任校と比べてしまうとそれはそれは何から何まで淋しい感じでした。
予算も雀の涙なら、今では絶大な信頼関係となった保護者会を立ち上げるだけでも一苦労でした。
常に人に囲まれていたあなたはあの頃はいつも独りぼっちでしたね。
私がレッスンに行った時のお昼ご飯はセブンイレブンのお弁当。職員室奥の「タバコ部屋」で買って来たお弁当を二人で食べました。
「淋しいねぇ…、わびしいねぇ…」が口癖でしたね。
少しずつ様々なことを整備してバンドも力を付けて来た01年7月、あなたを病魔が襲いました。
予選一週間を切っていたあの日「腫瘍の検査の結果が悪性だったから三ヶ月入院して来る。後を頼む!」と告げられました。
選択などと言う発想は無く、二つ返事で安心して治療に専念してくれるよう答えました。
命を懸けた八ヶ月に及ぶ戦いに勝利したあなたは一年半の休職の後復帰しました。
「自分の居た病室の患者は俺以外みんな死んじゃったんだよ」
さらりと言われて背筋が凍りつきました。それ程きつくて際どい治療だったんですね。
あなたが復帰されてからの6年間、裏方と表方の立場は代わってしまったけれど二人三脚で頑張って来ました。
私も周りもいつしか病気が治ったかのような錯覚に陥っていました。
それが今年の8月になってそうではないことに気付かされることになります。
「いよいよ来たか…、今回は厳しい戦いになるなぁ…、でもきっと今回も乗り越えて生還してくれるはず」
今思えば何とも甘い考えだったと反省しています。
8月末の再入院からバンドは都大会、全国大会と大きなステージを踏んで行きました。
全日本の朝「今日は聴きに行くけれど顔は出さずに帰ります」のメール。
あの時無理矢理でも会っておけば良かった…。
一生の後悔となりました。
再入院から四ヶ月での突然の訃報。
あなたは旅立ってしまいました…。
そして通夜。
行くまでは信じられなかったけど、あなたの遺影はそこにありました。
指揮をする横顔の写真はよっさんらしくて素敵でした。
潤くんに聞いたら「父は部活ばかりで家族の写真がないんです。指揮の写真は横顔ばかりで…」(苦笑)
奥様に促されお顔を見て何度もさすりましたよ。分かりましたか?
たくさんの弔問客が集まり過ぎて会館の人が慌てるほどでした。
私は殆どホスト役でしたが…。
翌日の告別式は良い天気でした。
この日ももう全員知り合いと言って良いほどたくさんの仲間が集まりました。
数年前所沢ミューズでのコンサートで一緒に撮った写真が二枚あったので、一枚をお棺に入れておきました。
奥様とのツーショットの写真の邪魔にならないよう少し下の方に置いたので気が向いたら見てください。
出棺の時には有志の皆さんがあなたの大好きだった「マイウェイ」を演奏し参列者全員で歌いました。
シンジくん、ゲンさんに続いて私も指揮に加わらせてもらいましたよ。
奥様の最後のご挨拶は本当に心のこもったあたたかいお話でした。
あなたの「もっと生きたい」と言う願いを聞いて胸が詰まりました。
焼き場には親族の皆さんと一緒に校長と後藤さんの三人で随行しました。
葬儀委員長の潤くんがとても立派で安心しました。
二人の息子さんはあなたに瓜二つでまるであなたが生きているようでした。
少しの時間が過ぎ、あなたは本当の仏様になりました。
斉藤先生、あなたが居ることがあまりに当たり前過ぎて甘えてばかりですみませんでした。
こうしてあなたを思い出すと何百何千の場面が浮かんできます。
だからこんな短い時間で整理などとても無理です。
今はただあなたを想い、名前を呼び、涙したいと思います。
斉藤義夫先生 | trackback(0) | comment(3) |
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2009/01/02 00:52 | [ 編集 ]
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2009/01/02 21:20 | [ 編集 ]
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2009/01/23 12:09 | [ 編集 ]
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