昔話
東大和卒業生より
【昔話】
「せっかくなので、斉藤先生との思い出話を聞かせてください!」
>東大和卒業生より様
斉藤先生との出会いは1986年、私が大学一年生(18歳)の時です。
国立(くにたち)楽器のパート別楽器講習会が最初でした。
国立楽器に山口県出身の同門の大先輩がいらして、当時大学4年生だった東京佼成ウインドの田中靖人さんやN響の山根孝司さんに紛れて1年坊主の私も使ってもらっていました。
斉藤先生が山口県出身と言うこともあり、何となくですが親近感を抱いていたのを覚えています。
1989年、大学4年になり教育実習に行かなくてはならなくなった時に、地元には戻らず、東大和三中(当時)で斉藤先生に実習を受け入れてもらいました。これが本当の意味での斉藤先生と吹奏楽指導との出合いです。。
以前にも書いたことがありますが、当時の私は吹奏楽コンクールで全国大会に出ることなどいとも簡単だと思っていました(若気の至り)。本気で、自分が教えたバンドは直ぐに全日本金賞などと思っていましたから・・・(涙)。
しかし現実はそうそう甘くはなく、指導し始めてからの数年は必死で頑張っても予選で金賞すら受賞出来ない期間が続きました。
斉藤先生と幾度となくやけ酒を交わしたことは懐かしい思い出です。
あの頃の悔しさや試行錯誤があったからこそ今があると思います。
当時は私が21歳、斉藤先生が33歳と今の私より遥かに若く、それはそれは熱血指導でした(笑)。二人していつも吠えていましたよ。
当時の曲を聴くと、今でも吹いて(叩いて)いた生徒たちの顔が鮮やかに甦ります。
指導力はありませんでしたが、生徒に乗っける思いには凄いものがありました。
1992年、初めて全日本に出場が決まった時の喜びは今でも忘れられません。
普門館で二人で抱き合って雄叫びをあげましたから(笑)。思いは届くんですね。
1997年、斉藤先生移動の年の三月、定期演奏会を終えた翌日の最後のミーティングで、斉藤先生が涙ながらに「次に来る顧問の先生を父と思え!そして(当時の)副顧問の先生を母と思え!」と生徒たちにメッセージを残して東大和を去られたことは一生忘れられません(この後東大和三中は3年連続全日本に出場することになります)。
早いものであれから10年が経ちました。
途中2001年に先生が病気で長期入院。思いがけず自分が表舞台に立つことになります。
2003年からは表と裏は変わりましたが、二人三脚で頑張っています。
こんなところで書くことではないのかも知れませんが、我々二人には言葉では語り尽くせない絆があります。
斉藤先生のまさに「命懸け」の生き様に応えたい。出会った時から変わらぬ思いですね。
←東大和三中では実習以来9年間お世話になりました!
←当時の出来事は僕にとって大切な宝物です!!!
【昔話】
「せっかくなので、斉藤先生との思い出話を聞かせてください!」
>東大和卒業生より様
斉藤先生との出会いは1986年、私が大学一年生(18歳)の時です。
国立(くにたち)楽器のパート別楽器講習会が最初でした。
国立楽器に山口県出身の同門の大先輩がいらして、当時大学4年生だった東京佼成ウインドの田中靖人さんやN響の山根孝司さんに紛れて1年坊主の私も使ってもらっていました。
斉藤先生が山口県出身と言うこともあり、何となくですが親近感を抱いていたのを覚えています。
1989年、大学4年になり教育実習に行かなくてはならなくなった時に、地元には戻らず、東大和三中(当時)で斉藤先生に実習を受け入れてもらいました。これが本当の意味での斉藤先生と吹奏楽指導との出合いです。。
以前にも書いたことがありますが、当時の私は吹奏楽コンクールで全国大会に出ることなどいとも簡単だと思っていました(若気の至り)。本気で、自分が教えたバンドは直ぐに全日本金賞などと思っていましたから・・・(涙)。
しかし現実はそうそう甘くはなく、指導し始めてからの数年は必死で頑張っても予選で金賞すら受賞出来ない期間が続きました。
斉藤先生と幾度となくやけ酒を交わしたことは懐かしい思い出です。
あの頃の悔しさや試行錯誤があったからこそ今があると思います。
当時は私が21歳、斉藤先生が33歳と今の私より遥かに若く、それはそれは熱血指導でした(笑)。二人していつも吠えていましたよ。
当時の曲を聴くと、今でも吹いて(叩いて)いた生徒たちの顔が鮮やかに甦ります。
指導力はありませんでしたが、生徒に乗っける思いには凄いものがありました。
1992年、初めて全日本に出場が決まった時の喜びは今でも忘れられません。
普門館で二人で抱き合って雄叫びをあげましたから(笑)。思いは届くんですね。
1997年、斉藤先生移動の年の三月、定期演奏会を終えた翌日の最後のミーティングで、斉藤先生が涙ながらに「次に来る顧問の先生を父と思え!そして(当時の)副顧問の先生を母と思え!」と生徒たちにメッセージを残して東大和を去られたことは一生忘れられません(この後東大和三中は3年連続全日本に出場することになります)。
早いものであれから10年が経ちました。
途中2001年に先生が病気で長期入院。思いがけず自分が表舞台に立つことになります。
2003年からは表と裏は変わりましたが、二人三脚で頑張っています。
こんなところで書くことではないのかも知れませんが、我々二人には言葉では語り尽くせない絆があります。
斉藤先生のまさに「命懸け」の生き様に応えたい。出会った時から変わらぬ思いですね。
←当時の出来事は僕にとって大切な宝物です!!!

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