New 睦郎's Room

 中村睦郎の吹奏楽奮戦記
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夏休みに入りコンクールが迫って来た。

毎日遅くまで練習するので唇の内側が切れる。

今なら練習するより休んだ方が良いと言うことが容易に分かるが、血気盛んな高校生、しかも気合い根性なら誰にも負けないと言うバンカラな男子校吹奏楽部員にはどんなに苦しくても突き進む選択肢しかなかった。

これしきで弱音を吐くなんて男がすたる!!気合いじゃ〜!!!息入れろ〜!!!

いつもこのパターンであった(涙)。

さて、自由曲「呪文とトッカータ」には途中ユーフォニアムのソロがある。

本番直前の合奏で織田さんから「そこのユーフォソロさあ、ヴィブラートかけてよ!」と指示が出た。

「ヴィ、ヴィブラート?!」

「どうするん??」←どうやってかけるの?の意

それまでヴィブラートは「上手くなってから掛けるもの」と習っていたので、ヴィブラートを掛けたことがなかったのである。

生まれて初めてヴィブラートを練習したのは織田さんの一言がきっかけであった。


さ〜て、いよいよ本番。

1984年の吹奏楽コンクール山口県大会は地元下関で開催された。

本番のステージでは織田さんと部員は燃えに燃えてまさに命懸けの演奏をした。

「呪文とトッカータ」のユーフォソロは残念ながらビビラート(ビビって音が震える現象)に終わってしまったが、自由曲の最後の和音が鳴り響いた瞬間、心の底から熱い思いが込み上げて来て、生まれて初めて演奏しながら涙した程だった。

無事に本番終了。

皆晴れ晴れとした気持ちでステージを後にした。

そして結果発表。

金賞を受賞をするも県代表として中国大会出場の夢は叶わなかった。

下関市民会館のロビーで野郎ども全員で声を出して泣いた。

いつまでもいつまでも・・・。


先日の横浜ブラスの練習では@部屋が指揮をしオリタさんがサクソフォーンを演奏した。

あれから20数年の歳月を経てこうして共演出来ることをとても嬉しく誇りに思った。

選曲も演奏もピュアでハートフル。オリタさんの人柄そのものだね。


オリタさんはここ数年また母校の指導に行っているそうだ。

3月の定期演奏会でも客演をするとのこと。

しばらく低迷している母校と山口県の吹奏楽のことを凄く心配されていた。

「睦郎にも力を貸して欲しいんだよね」

オリタんさんの熱い言葉に応えないようではそれこそ男がすたると言うもの。

一気に思いは田舎に飛んでしまった。

故郷で再会出来たらこんな夢のような話しはないね。

orita.jpg


←高校の後輩からコメントをもらいました!
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「下関の吹奏楽」
(とっても地元ネタで恐縮だが)当時の下関は中学校吹奏楽が非常に盛んだった。
山口県の中学校で初めて全国大会出場を果たした玄洋中学からは九州交響楽団トロンボーン奏者山下秀樹氏とシエナウインドオーケストラクラリネット奏者鮫島薫氏、名門彦島中学からサクソフォーン奏者織田浩司氏、我らが名陵中学からNHK交響楽団クラリネット奏者山根孝司氏と@部屋、他にも川中中学から豊浦高校の同期で東京芸術大学を経てニューヨーク在住のファゴット奏者近藤聡彦氏など、短い期間の中でたくさんの管楽器奏者が生まれた。

今思うと当時の下関には音楽に燃える何か得体の知れない空気があったのかもしれんなぁ。


「豊浦高校吹奏楽部の思い出」
豊浦高校吹奏楽部は野球部が甲子園に出場したのを機に創部された。
しばらくは部員一桁の時代が長かったようである(時任康文氏談)。
そこへ織田さんの学年が30名くらい入って来て一気に盛り上がったそうだ。
織田さんを中心に、コンクールへの参加、定期演奏会の開催と部員による自主的運営の形が出来た時代であった。

我々の頃は伝統(らしきもの)が形成されていた。
当時印象的だったものを紹介すると
1、音のでかい奴はエラい!
音色などと言う概念はなく、音量のデカい奏者の地位が高かった(笑)。
当然木管楽器に勝ち目はなく金管奏者がわがもの顔で仕切っていた(男子校だけに金管に経験者が多かったのも一因か)。

2、嫌いな言葉は「バランス」「ブレンド」?!
これらの言葉は軟弱な人々の使う言葉だと本気で思っていた。
バランス取って吹いたら楽器が鳴らないじゃん!
ブレンドさせたら息が入らないじゃん!

3、気合い根性では誰にも負けるな!
指導者がいない状況ではこれが一番の頼みどころ。
指示で多かったのは「息入れろ!!」である。
とにかく息を入れて楽器を鳴らせば全てが解決すると考えていたようだ。
ホント、なんでもかんでもすべてこれだったような気がするなあ・・・。

←部室は通称「ブラバン小屋」と呼ばれていました!
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中村睦郎(nakamura  mutsuo)

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