節目
後一ヶ月とちょっとで今年度も終わり。
3月に入ったらまた怒濤のような毎日となるので、隙間があるうちにいろいろまとめておかないといけないと思う。
27歳の時、これまでで一番行き詰まって焦っていた。
やる事なす事全て上手く行かずに苦しんでいた。
そんな時『30歳になれば何か道が開けるに違いない!「石の上にも三年」と言うではないか!』と言う「根拠のない確信」に突き動かされ、時任先生(指揮者)の門を叩いた。
それから3年経った30歳の時に初の全日本出場。僕のコンクールにおける表方人生が始まった。20代に於ける「裏方人生」(言い換えれば下積みの時代)が大きく役に立ったのだ!
あれから10年。
振り返ればひたすら全力で走り続けて来た。今思えばもっと上手く出来たなぁ・・と思うようなことも多々有るが、一生懸命頑張ったことは自分の誇りである。
常に、迷い、悩み、考えて、アッと言う間に10年が過ぎて行った。
そして40代のスタート。
昨年は僕が30代の殆どを注いだ横浜のバンドを離れ活動の場が広がった。
40代のスタートと機を同じくしたことに人生の妙を感じてならない。
ある歌手の「自分の一番大切なものを捨てない限り、次へは進めませんよ」と言う言葉が心に響く。
僕は基本的に安定志向ではないね(笑)。
さ〜て、40代をどうやって生きて行こう?
20年前はハタチ。20年アッと言う間だった。と言うことはアッと言う間に還暦?!
そう思えてならない(笑)。
一方、ある方から「人生80歳まで生きたとしたら、後40年間勉強出来るやん!」と言われて自信がついた。今からでも幾らでも頑張れるじゃないか!と。
とは言っても長年自分が生きて来た「軸」を変えるのは大変なことだ。
そんな狭間で悩み苦しむ日々が続いた。
今は「節目」と言う言葉の重みを感じつつ、新しい年度を迎えたいと思っている。
←第二位が見えて来ました!!
←いつも「ポチッと」ありがとう!!
3月に入ったらまた怒濤のような毎日となるので、隙間があるうちにいろいろまとめておかないといけないと思う。
27歳の時、これまでで一番行き詰まって焦っていた。
やる事なす事全て上手く行かずに苦しんでいた。
そんな時『30歳になれば何か道が開けるに違いない!「石の上にも三年」と言うではないか!』と言う「根拠のない確信」に突き動かされ、時任先生(指揮者)の門を叩いた。
それから3年経った30歳の時に初の全日本出場。僕のコンクールにおける表方人生が始まった。20代に於ける「裏方人生」(言い換えれば下積みの時代)が大きく役に立ったのだ!
あれから10年。
振り返ればひたすら全力で走り続けて来た。今思えばもっと上手く出来たなぁ・・と思うようなことも多々有るが、一生懸命頑張ったことは自分の誇りである。
常に、迷い、悩み、考えて、アッと言う間に10年が過ぎて行った。
そして40代のスタート。
昨年は僕が30代の殆どを注いだ横浜のバンドを離れ活動の場が広がった。
40代のスタートと機を同じくしたことに人生の妙を感じてならない。
ある歌手の「自分の一番大切なものを捨てない限り、次へは進めませんよ」と言う言葉が心に響く。
僕は基本的に安定志向ではないね(笑)。
さ〜て、40代をどうやって生きて行こう?
20年前はハタチ。20年アッと言う間だった。と言うことはアッと言う間に還暦?!
そう思えてならない(笑)。
一方、ある方から「人生80歳まで生きたとしたら、後40年間勉強出来るやん!」と言われて自信がついた。今からでも幾らでも頑張れるじゃないか!と。
とは言っても長年自分が生きて来た「軸」を変えるのは大変なことだ。
そんな狭間で悩み苦しむ日々が続いた。
今は「節目」と言う言葉の重みを感じつつ、新しい年度を迎えたいと思っている。
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繋がり
人と人は繋がっている。
極極自然なことである。
僕のように音楽の世界に生きていると日々それを実感することになる。
例えば、僕は国立音大の出身だが、それだけでもかなり繋がる。
山口県出身、これも繋がる。
地元の恩師が三好隆三先生と言うことでも繋がる。
僕がユーフォニアム奏者と言うことでも、三浦徹門下生と言うことでも繋がる。
先日、普門館で東京佼成ウインドオーケストラの団長の河野さんと初めてお話する機会を頂いたが、僕がシエナの団員と言うだけで、一瞬にして「シエナ=プロの吹奏楽団=仲間」と言う図式が成立した。
で、何が言いたいかと言うと、繋がっているからこそ「人を大切にしなさい!」と。
今は関係ないと思っていても、今後関係がなくなると思っていても「何時・何処でまた繋がるか分からないでしょ!」と。
だから「嘘をついたり、誠意の無いことをしたり、裏切ったりは御法度だよ!」と。
特に人から受けた「恩」は忘れてはいけないね。
「恩を仇で返す」なんてのは正に「愚の骨頂」。
以前に博多で入ったラーメン屋さんに「恩は石に刻み、恨みは砂に書く」とあった。
人は決して一人では生きて行けない。
僕は偶然の繋がりに感謝し、それを大切にしながら生きて行こうと思う。
←新しいブログの参加でブログランキングは激戦です!
←それでも1位は女王高木綾子姫です!!(凄)
極極自然なことである。
僕のように音楽の世界に生きていると日々それを実感することになる。
例えば、僕は国立音大の出身だが、それだけでもかなり繋がる。
山口県出身、これも繋がる。
地元の恩師が三好隆三先生と言うことでも繋がる。
僕がユーフォニアム奏者と言うことでも、三浦徹門下生と言うことでも繋がる。
先日、普門館で東京佼成ウインドオーケストラの団長の河野さんと初めてお話する機会を頂いたが、僕がシエナの団員と言うだけで、一瞬にして「シエナ=プロの吹奏楽団=仲間」と言う図式が成立した。
で、何が言いたいかと言うと、繋がっているからこそ「人を大切にしなさい!」と。
今は関係ないと思っていても、今後関係がなくなると思っていても「何時・何処でまた繋がるか分からないでしょ!」と。
だから「嘘をついたり、誠意の無いことをしたり、裏切ったりは御法度だよ!」と。
特に人から受けた「恩」は忘れてはいけないね。
「恩を仇で返す」なんてのは正に「愚の骨頂」。
以前に博多で入ったラーメン屋さんに「恩は石に刻み、恨みは砂に書く」とあった。
人は決して一人では生きて行けない。
僕は偶然の繋がりに感謝し、それを大切にしながら生きて行こうと思う。
←それでも1位は女王高木綾子姫です!!(凄)
モンスターペアレンツ
まつ
【以前】
「3〜4ヶ月くらい前に「モンスターペアレンツ」などのお話を今度しますと言ったっきりだったと思います。可能な範囲でぜひお願いします!」
>まつ様
教師バッシングが長かった中、ようやく問題のある親にスポットが当たるようになりました。「モンスターペアレンツ」とは良く言ったものですね。
給食費未納問題など、メディアでもとんでもない親の実体が取り上げられ愕然とします。
幸いなことに小平三中ではそのような親御さんに出会ったことはありませんが、様々なところで驚くような話しを耳にします。
これは某吹奏楽連盟の理事長さんから聞いた話しですが、夏のコンクールが終わると必ず審査(結果)にクレームをつける保護者がいるそうです。
「自分の子供の演奏は素晴らしかったのにこの賞はおかしい!」と。
中には直接文句を言いたいので審査員の連絡先を教えろ!などと言う者もいるそうです。
困ったちゃんですね。
比較的多いのは課題曲や自由曲の選曲に親が口を出す例でしょうか。
「この曲はうちのバンドには合わない!」とか「この曲ではコンクールに勝てない!」などと口出しをする話しはよく耳にします。
楽器の割り振りなどでも同じ意見が聞かれますね。
「何故うちの子はサックスじゃなくてクラリネットなんだ!」とか「何故うちの子が一番パートじゃないんだ!」などなど。
ではご自分でどうぞ!ですね(笑)。
こう言う人には全体のバランスや生徒一人一人の向き不向きを考えて・・・などと言う発想はありません。
「餅は餅屋」なんですがねぇ。
これらの根底には現代人の「自分の理屈に合わないことは認めない」と言う風潮が有るように思います。
自分の頭の中だけに暮らす人はこう言う状況になりやすい。
自分の知識や経験はちっぽけなもので、むしろ自分の知らない世界の方が多い!と言うことに気が付けば、多少納得の行かないことでも他人の意見を取り入れることが出来るのではないでしょうか。
また、焦って直ぐに答えを求めず、長い目で子供達の成長を見守る「気長さ」も大切かも知れません。これが本当の意味での「温かさ」に繋がるような気がします。
実際に問題が発生した場合は、対立するのではなく、じっくりと理解を求める姿勢が必要となります。
それだけの裏付けや説得力を持つことが指導者には必要ですね。
『餅は餅屋』(もちはもちや)
物事にはそれぞれの専門家がいるということ。京都系いろはがるたの一つ。臼(うす)と杵(きね)さえあれば誰にでもできそうだが、プロのついた餅は味が違う。
同意語: 「餅屋は餅屋」
←ネタ募集に沢山のコメントを有り難う!!
←まだまだ募集中です!!
【以前】
「3〜4ヶ月くらい前に「モンスターペアレンツ」などのお話を今度しますと言ったっきりだったと思います。可能な範囲でぜひお願いします!」
>まつ様
教師バッシングが長かった中、ようやく問題のある親にスポットが当たるようになりました。「モンスターペアレンツ」とは良く言ったものですね。
給食費未納問題など、メディアでもとんでもない親の実体が取り上げられ愕然とします。
幸いなことに小平三中ではそのような親御さんに出会ったことはありませんが、様々なところで驚くような話しを耳にします。
これは某吹奏楽連盟の理事長さんから聞いた話しですが、夏のコンクールが終わると必ず審査(結果)にクレームをつける保護者がいるそうです。
「自分の子供の演奏は素晴らしかったのにこの賞はおかしい!」と。
中には直接文句を言いたいので審査員の連絡先を教えろ!などと言う者もいるそうです。
困ったちゃんですね。
比較的多いのは課題曲や自由曲の選曲に親が口を出す例でしょうか。
「この曲はうちのバンドには合わない!」とか「この曲ではコンクールに勝てない!」などと口出しをする話しはよく耳にします。
楽器の割り振りなどでも同じ意見が聞かれますね。
「何故うちの子はサックスじゃなくてクラリネットなんだ!」とか「何故うちの子が一番パートじゃないんだ!」などなど。
ではご自分でどうぞ!ですね(笑)。
こう言う人には全体のバランスや生徒一人一人の向き不向きを考えて・・・などと言う発想はありません。
「餅は餅屋」なんですがねぇ。
これらの根底には現代人の「自分の理屈に合わないことは認めない」と言う風潮が有るように思います。
自分の頭の中だけに暮らす人はこう言う状況になりやすい。
自分の知識や経験はちっぽけなもので、むしろ自分の知らない世界の方が多い!と言うことに気が付けば、多少納得の行かないことでも他人の意見を取り入れることが出来るのではないでしょうか。
また、焦って直ぐに答えを求めず、長い目で子供達の成長を見守る「気長さ」も大切かも知れません。これが本当の意味での「温かさ」に繋がるような気がします。
実際に問題が発生した場合は、対立するのではなく、じっくりと理解を求める姿勢が必要となります。
それだけの裏付けや説得力を持つことが指導者には必要ですね。
『餅は餅屋』(もちはもちや)
物事にはそれぞれの専門家がいるということ。京都系いろはがるたの一つ。臼(うす)と杵(きね)さえあれば誰にでもできそうだが、プロのついた餅は味が違う。
同意語: 「餅屋は餅屋」
←まだまだ募集中です!!
昔話
東大和卒業生より
【昔話】
「せっかくなので、斉藤先生との思い出話を聞かせてください!」
>東大和卒業生より様
斉藤先生との出会いは1986年、私が大学一年生(18歳)の時です。
国立(くにたち)楽器のパート別楽器講習会が最初でした。
国立楽器に山口県出身の同門の大先輩がいらして、当時大学4年生だった東京佼成ウインドの田中靖人さんやN響の山根孝司さんに紛れて1年坊主の私も使ってもらっていました。
斉藤先生が山口県出身と言うこともあり、何となくですが親近感を抱いていたのを覚えています。
1989年、大学4年になり教育実習に行かなくてはならなくなった時に、地元には戻らず、東大和三中(当時)で斉藤先生に実習を受け入れてもらいました。これが本当の意味での斉藤先生と吹奏楽指導との出合いです。。
以前にも書いたことがありますが、当時の私は吹奏楽コンクールで全国大会に出ることなどいとも簡単だと思っていました(若気の至り)。本気で、自分が教えたバンドは直ぐに全日本金賞などと思っていましたから・・・(涙)。
しかし現実はそうそう甘くはなく、指導し始めてからの数年は必死で頑張っても予選で金賞すら受賞出来ない期間が続きました。
斉藤先生と幾度となくやけ酒を交わしたことは懐かしい思い出です。
あの頃の悔しさや試行錯誤があったからこそ今があると思います。
当時は私が21歳、斉藤先生が33歳と今の私より遥かに若く、それはそれは熱血指導でした(笑)。二人していつも吠えていましたよ。
当時の曲を聴くと、今でも吹いて(叩いて)いた生徒たちの顔が鮮やかに甦ります。
指導力はありませんでしたが、生徒に乗っける思いには凄いものがありました。
1992年、初めて全日本に出場が決まった時の喜びは今でも忘れられません。
普門館で二人で抱き合って雄叫びをあげましたから(笑)。思いは届くんですね。
1997年、斉藤先生移動の年の三月、定期演奏会を終えた翌日の最後のミーティングで、斉藤先生が涙ながらに「次に来る顧問の先生を父と思え!そして(当時の)副顧問の先生を母と思え!」と生徒たちにメッセージを残して東大和を去られたことは一生忘れられません(この後東大和三中は3年連続全日本に出場することになります)。
早いものであれから10年が経ちました。
途中2001年に先生が病気で長期入院。思いがけず自分が表舞台に立つことになります。
2003年からは表と裏は変わりましたが、二人三脚で頑張っています。
こんなところで書くことではないのかも知れませんが、我々二人には言葉では語り尽くせない絆があります。
斉藤先生のまさに「命懸け」の生き様に応えたい。出会った時から変わらぬ思いですね。
←東大和三中では実習以来9年間お世話になりました!
←当時の出来事は僕にとって大切な宝物です!!!
【昔話】
「せっかくなので、斉藤先生との思い出話を聞かせてください!」
>東大和卒業生より様
斉藤先生との出会いは1986年、私が大学一年生(18歳)の時です。
国立(くにたち)楽器のパート別楽器講習会が最初でした。
国立楽器に山口県出身の同門の大先輩がいらして、当時大学4年生だった東京佼成ウインドの田中靖人さんやN響の山根孝司さんに紛れて1年坊主の私も使ってもらっていました。
斉藤先生が山口県出身と言うこともあり、何となくですが親近感を抱いていたのを覚えています。
1989年、大学4年になり教育実習に行かなくてはならなくなった時に、地元には戻らず、東大和三中(当時)で斉藤先生に実習を受け入れてもらいました。これが本当の意味での斉藤先生と吹奏楽指導との出合いです。。
以前にも書いたことがありますが、当時の私は吹奏楽コンクールで全国大会に出ることなどいとも簡単だと思っていました(若気の至り)。本気で、自分が教えたバンドは直ぐに全日本金賞などと思っていましたから・・・(涙)。
しかし現実はそうそう甘くはなく、指導し始めてからの数年は必死で頑張っても予選で金賞すら受賞出来ない期間が続きました。
斉藤先生と幾度となくやけ酒を交わしたことは懐かしい思い出です。
あの頃の悔しさや試行錯誤があったからこそ今があると思います。
当時は私が21歳、斉藤先生が33歳と今の私より遥かに若く、それはそれは熱血指導でした(笑)。二人していつも吠えていましたよ。
当時の曲を聴くと、今でも吹いて(叩いて)いた生徒たちの顔が鮮やかに甦ります。
指導力はありませんでしたが、生徒に乗っける思いには凄いものがありました。
1992年、初めて全日本に出場が決まった時の喜びは今でも忘れられません。
普門館で二人で抱き合って雄叫びをあげましたから(笑)。思いは届くんですね。
1997年、斉藤先生移動の年の三月、定期演奏会を終えた翌日の最後のミーティングで、斉藤先生が涙ながらに「次に来る顧問の先生を父と思え!そして(当時の)副顧問の先生を母と思え!」と生徒たちにメッセージを残して東大和を去られたことは一生忘れられません(この後東大和三中は3年連続全日本に出場することになります)。
早いものであれから10年が経ちました。
途中2001年に先生が病気で長期入院。思いがけず自分が表舞台に立つことになります。
2003年からは表と裏は変わりましたが、二人三脚で頑張っています。
こんなところで書くことではないのかも知れませんが、我々二人には言葉では語り尽くせない絆があります。
斉藤先生のまさに「命懸け」の生き様に応えたい。出会った時から変わらぬ思いですね。
←当時の出来事は僕にとって大切な宝物です!!!
しみじみと
斉藤先生とのツーショット写真、如何でしたでしょうか?
たぶん演奏会終了直後のものだと思われますが、僕としては「二人ともなかなか良い表情をしているなぁ」と気に入っています。
この写真を見ながらしみじみと思うのですが、僕は斉藤先生と出会い、先生の愛する子供達と出会い、学校吹奏楽と吹奏楽コンクールに出合い、こうして毎日を充実した気持ちで過ごさせて頂いている。魂を乗っける場所を頂いている。何と言う幸せ者なのだろう、と。
同時に、先生からあずかった子供たちに、何が何でも良い思いをさせてあげなくてはと言う責任も感じます。頑張っている子供たちへの愛しさは日々増すばかり。
斉藤先生との19年目の夏は天王山を迎えようとしています。
←今年も共に戦えることに感謝!!
←強い”絆”を感じます!!
たぶん演奏会終了直後のものだと思われますが、僕としては「二人ともなかなか良い表情をしているなぁ」と気に入っています。
この写真を見ながらしみじみと思うのですが、僕は斉藤先生と出会い、先生の愛する子供達と出会い、学校吹奏楽と吹奏楽コンクールに出合い、こうして毎日を充実した気持ちで過ごさせて頂いている。魂を乗っける場所を頂いている。何と言う幸せ者なのだろう、と。
同時に、先生からあずかった子供たちに、何が何でも良い思いをさせてあげなくてはと言う責任も感じます。頑張っている子供たちへの愛しさは日々増すばかり。
斉藤先生との19年目の夏は天王山を迎えようとしています。
←強い”絆”を感じます!!
諸行無常
←クリックしてくれると喜びます!!先日の北九州の仕事ではいつもの通り下関の実家に滞在した。
家族の話しで恐縮だが、2年前に母が糖尿病になってしまった。痩せて小さくなった母を見ているだけで心が痛む。
6月にも同じ仕事で帰省したが、その時初めて(還暦を過ぎた)母がオバさんからお婆さんになって行く様をまざまざと見せつけられ、かなりショックだった。母が祖母にそっくりになって行くことの驚愕は尋常ではなかった。
人は確実に年老いて行く。そう、自分だってもう直ぐ40じゃないか!
まさに諸行無常である。
日中に仕事をし、夜は自然に母と散歩に出掛けたり家族のことを話す時間となる。
今回初めて父方・母方両方の家系図に話題が及んだ。
昔の戸籍謄本には現代とは違う人間模様が垣間見られたよ。
僕はこれまで何となくしか分かっていなかったのだが、誰と誰がどう言う関係かを母から聞くに付け、小さい頃から慣れ親しんだ名前の人達と自分の血が繋がっていることの不思議さに思いが至った。
父方の祖母が亡くなって来年で20年。
母方の祖父は今年で14年、祖母は5年である。
僕の中で家族に対する想いが凄いスピードで変わって行っている気がする。
東京に帰る日に母が仏壇に向かって般若心経を唱えているのには驚いた。
何故なら我が家は無宗教だからである。
まだ空ではないが流暢に唱えているではないか!
きっと先祖を敬うことの大切さと拝むことでの心の平安を手に入れたのだろう。
自分もこの年で同じような感覚を持ち始めている。
と言う訳ではないが、本日、文藝春秋の季刊夏号「心の時代を生きる」(日本人と宗教)を購入した。
無宗教とは言え、自分の背景にある「宗教観」を知るには打ってつけの分かり易い文章ばかりである。
音楽と言うフィールドに生きる自分はもっと早い段階で宗教について考えるべきであったのかも知れない。
遅きに失した感もあるが、ようやくその段階に差し掛かったと思えば有り難いとも思えるのではないか。
「生き方」すなわち「音楽」である。
自分の知らない世界へ想いを寄せること、先祖へ感謝することなど、現代に(都会に)生きる自分にとってこれから必要になることだと思うなあ。
最近気になる言葉
最近気になる言葉は以下である。
◎モンスターペアレンツ
◎ヘリコプターペアレンツ
◎教育サービス業
もちろん消えた年金問題なども気になってはいるのだが(笑)。
考えがまとまったら順次述べたいと思っている。
←ブログランキング現在第3位です!!
←毎日ポチッとありがとう!
◎モンスターペアレンツ
◎ヘリコプターペアレンツ
◎教育サービス業
もちろん消えた年金問題なども気になってはいるのだが(笑)。
考えがまとまったら順次述べたいと思っている。
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複雑な時代
ここのところで「ポチッと」数が激増。
有り難いと同時にとっても不思議。
日々のアクセス数も一定ではなく小さな山を描きながら推移している。
これまた不思議やね〜。
↓と言う訳で先に貼っておけ!!
←今日もポチッとよろしくね!!
←こちらもクリックしてね!!
さて、世の中が多様化して久しいが、最近、自分の周りでもそれを感じることが多い。
多様化と言えば聞こえが良いが、共通のモノの考え方や感じ方が崩れ、人と人の間に「断絶」とでも言える現象が起きているのではないだろうか。
情報の断絶、文化の断絶、価値観の断絶等々。これは世代間に限ったことではない。
都市化された社会の中では利便性、効率、成果、利潤などが一番素晴らしいものとして扱われる。一方、思いやりや優しさなど数字に表し難いものは二の次になり易い。
長くその中に身を置いていると本当に大切なことやものが分からなくなってくる。麻痺だ。
これは自分にも当てはまる。この麻痺が怖い。
でも自分の場合は心のどこかが気持ち悪くて我に返る。この気持ち悪さを実際に言葉として意識することは大変だし時間が掛る。悩んでも良く分からないこともある。
大人でもそうなのだから子供は尚更だ。
こんな複雑な時代に生まれ育ったら自分はどんな大人になっていただろう。そう思うことがしばしば。
多様化しているのに本能の部分では共感を求めるところに問題の原因があるように思える。
我々伝える側にとっては非常に難しい時代。
自分の非力を痛感する毎日である。
有り難いと同時にとっても不思議。
日々のアクセス数も一定ではなく小さな山を描きながら推移している。
これまた不思議やね〜。
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多様化と言えば聞こえが良いが、共通のモノの考え方や感じ方が崩れ、人と人の間に「断絶」とでも言える現象が起きているのではないだろうか。
情報の断絶、文化の断絶、価値観の断絶等々。これは世代間に限ったことではない。
都市化された社会の中では利便性、効率、成果、利潤などが一番素晴らしいものとして扱われる。一方、思いやりや優しさなど数字に表し難いものは二の次になり易い。
長くその中に身を置いていると本当に大切なことやものが分からなくなってくる。麻痺だ。
これは自分にも当てはまる。この麻痺が怖い。
でも自分の場合は心のどこかが気持ち悪くて我に返る。この気持ち悪さを実際に言葉として意識することは大変だし時間が掛る。悩んでも良く分からないこともある。
大人でもそうなのだから子供は尚更だ。
こんな複雑な時代に生まれ育ったら自分はどんな大人になっていただろう。そう思うことがしばしば。
多様化しているのに本能の部分では共感を求めるところに問題の原因があるように思える。
我々伝える側にとっては非常に難しい時代。
自分の非力を痛感する毎日である。
お年頃
←こちらも減少中@部屋、悩み多き年頃である。
振り返れば20代は仕事がなくて日々を生きるのが必死だった。
まさに下積み時代となった(これのお陰で今が有る!)。
その後、30歳になったら世の中が変わるに違いない!と言う根拠の無い確信が当たり様々なことが展開。ひたすら走り続ける10年となった。
そんな30代とも後5ヶ月でおさらば。
心も体も変化し、果たして進化してるのか退化しているのか・・・。
40代、どんな未来が待っているのだろう?
ここに来て自分の進むべき方向を見つめ直す時期に来ている。
日々の仕事をこなして行くことはもちろん大切だし有り難いことだが、それだけではもはや自分が満足出来なくなってしまっている。
本当の意味での積み重ね無くして自分の明るい未来は無い。
レベルの高い人との出合い、質の高い仕事、体力的な衰えとの闘い等々。
自然に任せて上手く行く程甘い世界ではない。
良い意味で現状に抵抗して行かなくてはイカンなぁ。
@部屋、悩み多き年頃なのだ。
←ブログのネタも日々の悩みかも?!



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